核抑止論は破綻している
原爆の日 2023 広島平和記念式典 (2023年8月6日)
平和宣言
78年前の原爆投下の日を、まるで生き地獄のようだったと振り返る当時8歳の被爆者は、「核兵器を保持する国の指導者たちは、広島、長崎の地を訪ね、自らの目で、耳で、被爆の実相を知る努力をしていただきたい。あの日、熱線で灼(や)かれ、瞬時に失われた命、誰からも看取られず、やけどや放射能症で苦しみながら失われていった命。こうして失われた数え切れない...
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他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない
【原爆の日】松井広島市長 平和宣言「ロシアの文豪トルストイが…」/被爆77年 広島平和記念式典
平和宣言
母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄...
世界唯一の被爆国としての責任とは何か
今朝の地元紙赤い丸は兵器として使われた核兵器、黒い丸は世界に存在している核兵器の数(13,865発)赤い丸が2つ、、、原爆投下から76年。これ以上赤い丸が増えないように祈ります。#長崎新聞 #長崎原爆の日 pic.twitter.com/a481FmewR7— 麦ママ (@jHHCyD47wmY26eH) August 8, 2021
長崎に原爆が投下されてから今日で76年。
平和祈念式典は昨年に引き続き感染防止のため大幅に規模を縮小して開催された。
7月末日ま...
核兵器との共存はありえない
被爆76年 広島平和記念式典|松井市長平和宣言|2021年8月6日
平和宣言
76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身...
鎮魂の祈りさえもままならない現実
今朝の #長崎新聞 何かと思ったら。平和、平和、平和を願う。 pic.twitter.com/3RONrR0AXu— ケッチ/ Ketch (Japanese physical comedian/mime clown) (@Ketch2019) August 9, 2020
今日、長崎は原爆が投下されてから75年の節目を迎えた。
平和祈念式典は感染防止のため大幅に規模を縮小して開催された。
田上富久市長は核兵器禁止条約に賛同しない日本政府に署名・批准を要求したが、安倍晋三首相は今年も条約に...
今こそ世界の「連帯」が必要
平和宣言 広島市長 松井一實 2020年8月6日
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、もがいていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられ...
私たち一人ひとりにできる大きな役割
目を閉じて聴いてください。
幾千の人の手足がふきとび
腸(はら)わたが流れ出て
人の体にうじ虫がわいた
息ある者は肉親をさがしもとめて
死がいを見つけ そして焼いた
人間を焼く煙が立ちのぼり
罪なき人の血が流れて浦上川を赤くそめた
ケロイドだけを残してやっと戦争が終(おわ)った
だけど……
父も母も もういない
兄も妹ももどってはこない
人は忘れやすく弱いものだから
あや...
志と寛容の心をもって理想の世界を目指す
平和宣言 広島平和記念式典 2019年8月6日
今世界では自国第一主義が台頭し、国家間の排他的、対立的な動きが緊張関係を高め、核兵器廃絶への動きも停滞しています。このような世界情勢を、皆さんはどう受け止めますか。二度の世界大戦を経験した私たちの先輩が、決して戦争を起こさない理想の世界を目指し、国際的な協調体制の構築を誓ったことを、私たちは今一度思い出し、人類の存続に向け、理想の世界を目指す必要があるの...
市民社会の力で世界中に広げていきましょう
73年前のきょう、8月9日午前11時2分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ...
歴史を忘れ直視することをやめないために
2018 広島 平和宣言 8月6日
73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。摂氏100万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされました。「熱いよう!痛いよ...
ノーモア ヒバクシャ
長崎平和宣言 長崎平和祈念式典 2017年8月9日
「ノーモア ヒバクシャ」
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ...
絶対に譲れないことがある
平和宣言 広島平和記念式典 2017年8月6日
皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼け...
核兵器の歴史は不信感の歴史です
長崎平和宣言 2016年
長崎平和宣言
核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。
1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸(なきがら)、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そ...
被爆71年目の広島原爆忌に思うこと
(全録)広島「原爆の日」 松井一實市長が平和宣言
広島は今日、71回目の原爆忌を迎えました。
平和記念公園では例年通り平和記念式典が開かれ、約5万人が犠牲者を悼むとともに改めて平和を誓いました。
松井一実市長は平和宣言で、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏のスピーチを引用して、核兵器廃絶へ、情熱を持ち、世界が連帯して行動を起こすよう呼びかけました。
また、今日〈現地時間では5日〉リオデ...
平和の理念
phot: mainichi.jp
長崎平和宣言
昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。
大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は...
自分たちにできることは祈りだけではないはず
私たちの故郷には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。
1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮...