市民社会の力で世界中に広げていきましょう

 73年前のきょう、8月9日午前11時2分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ...
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歴史を忘れ直視することをやめないために

【日本ニュース】広島原爆の日:広島平和宣言(全文) 73年前、今日と同じ月曜日の朝。広島には真夏の太陽が照りつけ、いつも通りの一日が始まろうとしていました。皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。摂氏100万度を超える火の球からの強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。立ち昇ったきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊し尽くされま...
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ノーモア ヒバクシャ

長崎平和宣言 長崎平和祈念式典 2017年8月9日 「ノーモア ヒバクシャ」 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ...
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絶対に譲れないことがある

平和宣言 広島平和記念式典 2017年8月6日 皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか。鋭い閃光がピカーッと走り、凄まじい放射線と熱線。ドーンという地響きと爆風。真っ暗闇の後に現れた景色のそこかしこには、男女の区別もつかないほど黒く焼け焦げて散らばる多数の屍。その間をぬって、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々が、焼け...
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核兵器の歴史は不信感の歴史です

長崎平和宣言 2016年 長崎平和宣言 核兵器は人間を壊す残酷な兵器です。 1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下した一発の原子爆弾が、上空でさく裂した瞬間、長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。あとには、黒焦げの亡骸(なきがら)、全身が焼けただれた人、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、長崎は地獄と化しました。 原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、そ...
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被爆71年目の広島原爆忌に思うこと

(全録)広島「原爆の日」 松井一實市長が平和宣言 広島は今日、71回目の原爆忌を迎えました。 平和記念公園では例年通り平和記念式典が開かれ、約5万人が犠牲者を悼むとともに改めて平和を誓いました。 松井一実市長は平和宣言で、現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマ氏のスピーチを引用して、核兵器廃絶へ、情熱を持ち、世界が連帯して行動を起こすよう呼びかけました。 また、今日〈現地時間では5日〉リオデ...
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平和の理念

phot: mainichi.jp 長崎平和宣言 昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。 大量の放射線が人々の体をつらぬき、想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。24万人の市民のうち、7万4000人が亡くなり、7万5000人が傷つきました。70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は...
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自分たちにできることは祈りだけではないはず

 私たちの故郷には、温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。  1945年8月6日午前8時15分、その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。きのこ雲の下には、抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、焼け崩れた建物。幾万という人々が炎に焼かれ、その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、その中には朝鮮...
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平和の原点が揺らいでいる

69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。 今も世界には1万6千発以上の核...
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「忘れない」とは「他人事にしない」ということ

 被爆69年の夏。灼けつく日差しは「あの日」に記憶の時間を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子からお年寄りまで一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。  建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6000人。当時12歳の中学生は、「今も戦争、原爆の傷跡は私の心と体...
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被爆国の原点に返れ

長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 長崎市長の長崎平和宣言(2013/8/9)  68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が1発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力はすさまじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていたまちは一瞬で廃虚となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射...
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原爆は「絶対悪」

 「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾によりそのすべてを消し去られた家族がいます。「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂(さくれつ)。無情にも喜びと希望が、新しい『生命』とともに一瞬にして消え去ってしまいました」  幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。苦難と孤独、病に耐えながら生き、生...
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人学ばざれば道を知らず

大和の後部が白煙を上げているのが私にも分かりました。 なおも攻撃が続けられ、魚雷が的中した時は 震度5にも感じられるほど激しく揺れました。 次第に船は傾いていきます。 砲術学校では、戦艦は十五度傾いたら限界と習ってきましたが、 二十五度、三十度とどんどん傾いていきます。 それでも、戦闘中は命令がない限り 持ち場を離れることはできません。 その時「総員、最上甲板へ」との命令が出ました。 軍には...
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長崎 映像の証言

The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 1/5 The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 2/5 The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 3/5 The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 4/5 The photoes of NAGASAKI (原爆投下直後の長崎) 5/5   2008年8月6日の記事 で このように書いたことがある。 戦争や原爆をテーマにした本や映画は、 ショッキングで恐ろしい描写が多い。 ...
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知のジムナスティックス

昨晩、 大阪大学コミュニケーションデザイン・センターが主催する 知のジムナスティックス~学問の臨床、人間力の鍛錬とは何か~ という公開講座に参加した。 生きる為の智恵と術に長けた多分野のゲストと学生有志を交えた ラウンドテーブル形式のシンポジウム型講座で、 18時から3時間半(予定では3時間)にも及ぶ 新たな視点や気づきの多い、刺激的なイベントだった。 七大陸最高峰登頂、人力踏破の写真家の 石川直樹...
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被爆ピアノ

 広島で原爆に遭ったピアノを使うコンサートが各地を巡り始めて5年になる。北海道から沖縄まで200カ所近くを回った。九州では今年は4月に初めて熊本で開かれた ▼「被爆ピアノ」は数台ある。爆心地から2キロ前後の民家や小学校などで爆風にさらされた。ガラス片が刺さった無数の傷あとは当時のまま。鍵盤が一部傷んだものもある。音は64年前と変わらない ▼ピアノ調律師の矢川光則さん(広島市在住)が、修理を託されたピ...
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