果たして、主体となっているか?
耳掃除を人にやってもらうと痛い。自分でやる分には、多少強くやっても平気だ。
能動/受動とは、このようなものだと思う。
自分でキーを押すと、押した結果が画面に伝わる以外の変化も自分に起きている。
この頭で思って、動き、反応が返ってくる流れが大事に思える。
via: to - 能動、受動
主体となっているか否かで
まったく感じ方が違う。
不満を感じた時、
果たして、主体となっているか?
歓びを感じた時、
...
0
ハッとしては また忘れる...
他人に干渉するな、と要求することは、
そういって、他人に干渉している。
自分が特別だと思っている、
それ自体が特別ではない。
via: 「詩的私的ジャック」 森 博嗣
この一節、
久しぶりに目の当たりにして
やっぱり!今度もハッとさせられた。
何度ハッとしても
いつの間にか忘れている。
でも そういう自分も
特別なわけじゃないねんて。
いつまでたっても
ハッとしては また忘れる...
これからも 続...
ありのまま あるがまま
楽観主義者は言う。
「コップに水が半分もある」
悲観主義者は言う。
「コップに水が半分しかない」
禅の教えはこうだ。
「コップはいっぱい。半分は水で半分は空気」
(ジェームズ・クロムウェル)
ハリウッド・スタイル
幸運をつかむ言葉
●1年前の今日:断りやすい店は訪れやすい...
実体と現象
言葉は代表するものであって、実体そのものではない、実体こそ、禅において最も高く評価されるものなのである。
禅において言葉が要るとしても、それは売買における貨幣と同じ価値のものである。
via: 禅と日本文化 (岩波新書)
「コトバ」は「言霊」。
思ったこと、考えたこと以上に
口にしたことや、耳にしたこと、
さらに、それを継続したときには
想像を越えた影響力を持つ。
「コトバ」は「現象」をつくる。
...
現状否定は進歩の条件か?
現状に満足することと、現状を“良きもの”として捉えることは、同じ様に思えて実は違う。
それは、山をみて「山はいいなあ」と言うのと、山を登って「山はいいなあ」と言う様に。
「現状に満足せずひたすら精進していく」姿は確かに正しい姿勢のように思えるけれども、今自分の持っているものに不満を持って新しい何かを求める姿勢では、残念ながら何も得ることができない。
現状の自分を認め、それが良いものだと信じ、その中で...
忘れたころに、願いはかなう
よく、願い事をかなえるには、「強くイメージすること」って言うじゃないですか。
目標が実現できた様子を、細かいところまで頭の中で何度も再現すると、実際にそれが現実になるという。
てな話をしていたら、前にもチラと紹介した、野口整体と古代ヨガを収め、インドにたびたび修行に行っているという身体感覚の達人、松田恵美子(エメさん)さんが、こんなことを言っていました。
「それは西洋のやり方ね。東洋で...
いつか必ず死ぬ
日本の仏教宗派・曹洞宗の開祖
道元禅師とその弟子のやりとり
弟子が道元(禅師)に聞いた。
「人には皆、仏性があるというのに
成功する人としない人がでるのはなぜか」
すると道元は
「努力する人としない人の差だ」と答える。
弟子は、
「人には皆、仏性があるのに、
なぜ努力する人としない人がでるのか」
と食い下がる。
道元は、
「努力するものは志をもち、
努力しないものにはそれがない」...