活かせているか?

29年目の1月17日。 神戸・三宮の東遊園地で行われた「1・17のつどい」では、灯籠で「1995 ともに 1.17」の文字が象られました。 能登半島地震の被災者に寄り添い、「一人ではない」「共に助け合おう」という思いが込められているとのこと。 6434人が亡くなり3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は、想像を絶する大災害。 年々ニュース等での露出が減り続けていましたが、今年は元日の地震から間もないせいか、例年より...
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天災は忘れた頃にやってくる…

28年目の1月17日。 今年も各地で犠牲者を悼む行事が行われました。 神戸・三宮の東遊園地で行われた「1・17のつどい」では、灯籠で「1995 むすぶ 1.17」の文字が象られました。 風化を防ぐために「人と人、場所と場所、思いと思いを『むすぶ』1・17のつどいに」との思いが込められているとのこと。 地震発生時刻の午前5時46分、今年もテレビ中継に合わせて黙とうしました。 6434人が亡くなり3人が行方不明となった...
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「忘れない」「忘れられない」

via: 神戸新聞NEXT 27年目の1月17日。 各地で犠牲者を悼む行事が行われました。 神戸・三宮の東遊園地で行われた「1・17のつどい」では、約5千本の灯籠で「忘 1・17」の文字が象られました。 6434人が亡くなり3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は、体験者にとって忘れられない一大事であることは間違いありません。 また、後の世を生きる人たちにとっても忘れてはならない史実です。 地震発生時刻の午前5時4...
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今こそ改めて「がんばろう」

26年目の1月17日。 今年も各地で犠牲者を悼む行事が行われました。 が、COVID-19の感染者拡大に伴い緊急事態宣言が発令されている被災地周辺では、多くの行事が中止されたり参加者が激減したりしました。 感染防止策のため致し方ない事情ではありますが、歳を重ねる毎に震災の記憶が風化していく中、これまでにも増して震災関連情報のマスコミ等への露出が少なかったことと併せて残念でなりません。 しかし、これも時の流れと...
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25年経った今も震災はまだ続いている

25年目の1月17日。 いつもと同じように早朝の参拝を済ませ、TVのスイッチを入れました。 5時46分、震災のつどいの中継に合わせて黙祷しました。 今年は25年目ということで若干は取り扱いが増えたようですが、年々簡略化されていく震災関連の報道。 神戸市民の既に半数が震災後に生まれたり転居してきた人になっているとのこと。 他の地域の人たちやマスコミにとって震災への記憶や関心が薄くなるのも当然です。 だからこそ伝...
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被災地に長く心を寄せる

東日本大震災の発生から8年。 死者 15897人、行方不明 2533人、震災関連死 3701人。 避難生活を続ける人は未だ約52000人にも及びます。 福島第一原発の放射能流出は収まるどころか増える傾向にあるとの報道もありました。 にも関わらず、大々的に報道されたり特番や特集が一日中ちまたを賑わせることはなかった。 復興省も閉庁されることとなりました。 阪神淡路大震災の時よりも風化が早いように感じるのは気のせいでしょ...
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もう7年? まだ7年?

今日は、東日本大震災から7年。テレビ番組表を見てたら「NHK」で気付いた事が・・・。ちょっと良い話! via: Twitter / MizunoKatsuaki あれから7年。 アッという間の7年。 まだ、たったの7年。 なのに、 もうずっと昔のことのように… とっくに復興できているかのように… 過去の教訓に学ぼう的な報道が多いような気がする。 過去の出来事にしてしまうには、ちょっと早すぎませんか? 自分は関西に住んでいるので余...
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伝えたいことと伝えなくてはならないこと

23年目の1月17日。 冷たい雨がそぼ降る中、いつものように参拝を済ませた後、テレビのスイッチを入れました。 特別な番組はなく、5時46分の黙祷の様子が中継されただけでした。 神戸市民の既に半数近くが、震災後に生まれたり転居してきた人になっています。 ましてや、他の地域の人たちにとって震災への記憶や関心はなくなりつつあるのも当然です。 悪天候が重なったこともあり、神戸市中央区の東遊園地で開かれた追悼のつど...
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22年目の祈り

via: 産経フォト 22年目の1月17日。 今年も寒い朝になりました。 テレビ各局とも早朝の特別番組はなく、かろうじてBS1だけが追悼のつどいの様子を生中継していました。 神戸市中央区の東遊園地で開かれた追悼のつどいには、午後5時までに約3万人が訪れましたが、昨年と並んでこれまでで最も少ないとのことです。 SNSで繋がっている人たちは震災体験者や同年代の人も多いので、震災関連の投稿も目につきましたが、既に少数派...
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未来につなげる

21年目の1月17日。 しばらく暖かい日が続いていましたが、今朝はグッと冷え込みました。 例年通り震災関連のニュースがトップ記事として取り上げられていました。 しかし話題は、今年成人を迎えた人たちはあの震災を知らないこと、被災者の高齢化や被災地への転入者が過半数を超えていること、追悼行事やその参加者が激減していることなど、風化を指摘するものばかりが目立ちました。 TwitterなどSNSへの投稿には「忘れてはな...
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経験を活かすことが最大の供養

20年目の1月17日。 5時46分、黙祷を捧げました。 ほとんどのテレビ番組の中継は6時前に終了しました。 20年の節目という機会よりも、20年の歳月による風化を改めて感じざるをえませんでした。 都市機能は完全に回復し、震災による傷跡はほとんどなくなりましたし、震災後に誕生、転入した市民が半数を占めるようになり、当時を知る人の割合は年々小さくなっています。 被災者やその関係者からすると淋しいことではあ...
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人それぞれに天与の役割は違う

19年目の1月17日。 朝の参拝散歩を済ませて 一息いれた後テレビを点けました。 普段と違う父の行動をみて 側にいた長女が不思議そうな顔をしています。 5時46分、 画面の向こう側にいる人たちと共に 黙祷を捧げました。 ようやく娘にも 状況が把握できたようです。 けれども 彼女には黙祷する人たちの思いが どれほどのものなのかは理解し難いでしょう。 体験していない、知らないということは そういうこと...
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思いを寄せる

天皇陛下 東日本大震災追悼式典でのお言葉(12/03/11)  本日、東日本大震災から2周年を迎えるに当たり、ここに一同と共に、震災によりかけがえのない命を失われた多くの人々とその遺族に対し、改めて深く哀悼の意を表します。  2年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う大津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。震災後に訪れた被災地では、永年(ながねん)にわたって人々が築いてきたふるさと...
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生命ある限り…

記憶を焼きなおすために… 思い出にさせないために… 心の叫びをを届けるために… そして 一つになるために… 18年目の今日も断食しています。 リアルタイムに生で見た地獄絵図が 今でも ありありと思い起こされます。 完全復興したかに見える街には 18年も経った今でも被災の爪あとが 少なからず残されています。 復興住宅の入居期限… 被災者の高齢化… 災害援護資金の返済残高… そして、関係者の心に深く刻まれた傷… ...
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思いを受け継ぐ

あれから1年が経ちました。 いつも以上に アッという間の1年でした。 つい先日のことのような気がします。 生ききった人にとっても 生かされた人にとっても 否応なくねじ伏せられた想いを 一瞬にして奪い去られた願いを 思い出として語ることができるまでには まだまだ時間が足りないと思います。 けれども、間違いなく1年が経過しました。 あの日までと同じように いつも通り時間は通り過ぎていきます。 まったく...
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東日本大震災が起こってから初めての1.17

17年目の今日も断食しています。 記憶を焼きなおすために… 思い出にさせないために… 心の叫びをを届けるために… そして 一つになるために… 1995年1月17日の朝5時46分、 ドーンという地の底から巨大な何かが突き上げてくる衝撃と共に 阪神・淡路一帯は、地獄と化してしまいました。 あの傷ましい惨事が 昨日のことのように思い出されます。 けっして忘れない。 いや、忘れることはできない。 そう確信していたにも関わ...
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