個性
今の教育では、商品になるものだけを“個性”と言ってる。
それを生かせば音楽をやってお金をとれるとか、絵を描いてお金をとれるとか、知識が株に使えるとか、ぜんぶ経済活動とくっついてる。
そういう意味では、何の役にも立たない個性もあるんですよね。
例えばお婆ちゃんがいたら可哀相と思って手を引いてあげるとかさ、そういう個性。
隣の人間のことを本当に思いやることが出来る心だって個性。
でも“個性的教育”って言ってる時に、それはたぶん個性を伸ばす対象には入ってないですよ。
その人間にとっての個性がそういう心だったら、“それを仕事に生かせ”なんてお金とくっつけていう必要はない。
でも仕事をやって全然ダメだったら、“お前は何をやってるんだ!”ってことになる。
お金になるものを前提にして教育を論じるからつまんないことになるんですよ。
(100年インタビュー:宮崎駿)
うん。。。
ホントに、そう思う。
その上 さらに…
ちゃんとシゴトに活かせるようなことは
実は、まったく!教育されてはいない。
そういう現状が、
お金になるものを前提にして教育を論じる...
ということを加熱する原因にもなっている。
この際、西洋生まれの「個性」などに
あれこれ振り回される必要はない。
この国には、この国なりの、
一個の人間としての生き方がある。
…なんて、
思ったり、思わなかったり…(^^ゞ
いや ホンマ。
●1年前の今日:早大生協のPOPがスゴイことになっている!