情動を味わいつくす

最優先でやるべきは、作者や登場人物の情動回路を自分の脳内で動かすことだと思う。

作者や登場人物になりきって作者や登場人物の目から見える世界を思い浮かべ、

作者や登場人物が感じた息苦しさ、悔しさ、理不尽さ、憤りを自分も味わってみることだ。

それも、作者や登場人物の背の高さ、体の重さ、姿勢の歪みからくるにぶい苦痛、自分の筋肉や骨や間接や胃や腸やさまざまな内臓が蠢いたり痛んだりする生々しい感覚、汗で服が皮膚に貼り付く不快感、まさぐられ、押さえつけられる苦痛、抵抗できない悔しさ、視界から見えたり触っているさまざまなもののディテールを、リアルに生々しく、自分がいままさに体験しているかのように、作者や登場人物の中に「入り込み」そこでわき起こる様々な感情を自分の感情として味わうことだ。

ここで重要なのは、文章に出てきた全ての登場人物や作者の情動を、並列に、あるいは、切り換えながら自分の脳内で血が出るほど誠実にシミュレートすることだ。自分の好きな登場人物や作者の情動の、感情移入しやすい部分だけシミュレートするのは、ただの精神的自慰行為にすぎない。自分がむかついたり反発を感じる作者や登場人物の身体、立場、気持ちになりきって、そこから見える世界を味あわなければならない。

このような情動シミュレーションさえしっかりできれば、文章の論理構造など、さして努力しなくても自然に浮かび上がってくる。

それも、単に論理骨格を追いかけるより、はるかに精密に論理構造が見えるようになる。

意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック

 
知性ではなく情動を通じて味わうことによって
はじめて、構造が見えてくるのだと...

というか、
自分の感情として捉えなければ
味わったとは言えないのであって、
味わって はじめて理解できるものなのだと...

 
すこし乱暴なところもあるけれど(^^ゞ
まさに!その通りだと思う。 うん、納得!

筆者もまた、筆者の情動から湧き出た論理を描いているのであって
その感情に影響下にある登場人物の目線に立つことや
筆者の感情に迫ることで、理解が深まることになるんやね。
 

そもそも、文章の論理構造の把握に、情動シミュレーションが重要であることの、
根本的な理由はなんだろうか?

それは、一切の意味と価値が、究極的には論理ではなく、情動から生じているから、という理由だ。

情動を一切無視した論理というのは、文字通り無意味な論理だからだ。

意外と知られてない、自分を飛躍的に成長させる読書テクニック

 
これは読書に限ったことではなくて、
情緒、情動よりも、論理構造という情報が
たいていの場合、優先されているということ。

そのアンバランスは常識として固定観念化されている...
そのことは、以前から、ちょっと危ないと思ってる。

 
人の話を聞くとき、
何かのメッセージにに触れるときは もちろん!
モノや情報に接するときだって...

その奥に見え隠れしている情緒・情動を捉え
それこそ…"自分の脳内で血が出るほど誠実に"
味わいつくすことによって、
その真意や本当に大切なことが
見えてくるのではないかと思う。。。

しかも、意外に それが近道だったりする。

 
普段、自分の言う「聴き方」ってやつも
まさに、そういうことなんやと 改めて自覚した。

 
「感動」というものは あっても、
「知動」「理動」というものは ない。

情動を味わいつくす

 

●1年前の今日:ぴんぼけ堂

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