ルール
ルールがきつくなればなるほど,人々は寛容さを失う。これは間違いないと思う。自分がルールに縛られていれば,他人もルールに縛られて欲しいと思うのが人情だ。現代人は,僕の見る限り相当ルールを守って生きていると思う。そして,寛容さを失っていっている。その様子を,大学に勤めるある友人が,「お互いに首を絞め合っている」と表現していた。言い得て妙だと思う。僕はこういう状況を「体育会系の論理」と呼んでいた。
ルールというのは
自主的に守るものであって
縛られるものであってはならない。
首を絞め合っている状況は
明らかに縛り合っているということ。
互いに寛容になるということは、
ルール無用ということではなくて、
自主的にルールを守って
互いの不便を分かち合いながら
互いの利益を与え合うことなんやと思う。
ルールの設定には性悪説で、
ルールの運用には性善説で臨む...
そういう姿勢が保たれるなら
ルールや契約は有効に機能する。
ルールを介して他者を縛ろうとする...、
配下に置いてコントロールしようとする...
そのような意図がルールをきつくする。
守れなかったことに寛容になることと
自主的に守ることにも寛容になることは
基本的には同じ「お気楽」な心構えやねんな(^_^)v
許すことで、乱れるのを恐れるな!
許し合うことで、秩序は保たれる。
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