夢見心地だからこそ夢
夢が叶わなくなる一番の原因は、自分のやりたいことが“やらなければならないこと”に変化してしまうことだ。
ああしたい、こうしたいことが、ああせねば、こうせねばと強迫観念として夢は義務化されてしまうと、ダイエットなどと同じごとくその行為自体が苦しくなってしまう。
具体的な方法が確立された”夢“というものは存在しないし、そもそも実現できる手段を持った瞬間から、それは”夢“という言葉の意味を失ってしまうのだ。「夢を持て」なんて大人たちに言われ続けられて育ってきた子供たちは、夢を持つことそのものが“義務”のように感じて、その義務のための努力を強いられると感じる。
いつしか、他人に認められるような具体的手段を持った目標こそが“夢”とされてしまい、そして夢を失う。via: 心に効く言葉「夢は苦痛を伴わない」
このカンカク…
以前から感じていたものと
とっても近い感じがする。。。
「・・・たい」と
「・・・ねばならない」は
まったく違うのに、
どうも ごっちゃにされがちやね。
この正月にも
成功者の条件として「夢を持つこと」が大切...
なんていう洗脳番組が放送されていた。
成功者と呼ばれる人たちが
夢を抱いていたことは間違いないとしても、
夢を持たなくては成功できないというのとは違う。
「夢を持たなくちゃ…」
なんて思ってしまった途端に
もう 夢じゃなくなってしまう。。。
別にご褒美が欲しくてやっているわけでも、達成した後にみんなからうらやましがられるためにあるわけでもない。
「夢」は生きるためにとても大切なもの。でも誰にも強制されない上で「楽しいから」という理由以外必要のないものだとは思いませんか?via: 心に効く言葉「夢は苦痛を伴わない」
思います 思います。
夢は やっぱり!
夢見心地じゃないと夢じゃない。
目標を設定して
実現をマネジメントする方法を
否定するつもりはないのだけど...
「夢」っていうのは
思考によって意図的に
管理・制御するようなものじゃない。
悪夢っていうのもあるけれど
あれだって、何か深層心理や無意識が
与えてくれているメッセージだとしたら、
観ちゃいけない…とか、
観ないようにするには…とか
そういうコントロールは必要なくて、
ちゃんと、自分のココロと対話することが
大事なことなんじゃないかと思う。
叶うとしたら
たしかに嬉しいだろうな~って思うけど、
叶っても 叶わなくても
観ているだけで楽しいのが夢。。。
意識に支配された義務や統制ではなくて、
本当に「願っていること」
それが「夢」なんじゃないかな...
な~んて、
思ったり... 思わなかったり...(^^ゞ
●1年前の今日:気付きの連続!