ええねん ええねん
昨日、母親に忘れ物を届けに行った時のこと。
母は、相も変わらず
勝手な悪い想像をしてみたり
皮肉や、愚痴を言ってみたり
あたりかまわずケチをつけていた。
そうやって いつも
人や自分や物事にケチをつけているから、
それが そのまま自分に返ってきている
典型的なパターンにはまっている。
歳をとって体力や気力は弱ってきたものの
寝たきりというわけではないし
当面の経済的な不安もあるわけでもない。
夫には既に先立たれたけれど
スープの冷めない距離に家族が住んでいるし
週に2回くらいの継続的な行き来もある。
もちろん、そうであっても
それなりに寂しいことや辛いこともあるだろう。
それは、解っているつもりだけれど、
何にでもケチをつける姿勢が目に余るものがある。
余りの酷さに我慢ができず、責めてしまった。
ケチをつける姿勢が目に余る...といって
その姿勢にまたケチをつけている自分。。。
やっていることに矛盾があると
解っていながら、やってしまう。。。
そんなことをしても何の効果も意味もないことは
よく解っているだけに、そんな自分が情けなくなる。
きっと、母親も同じなんやろうな。
解っているけど、やってしまう。。。
手の内にある幸せに目を向けようとせず
不足や不満にばかり焦点を合わせる姿勢は、
感謝が足りないことだと思うし、
天に向かってツバを吐くようなもの。
それは、確かに正論なのだけど、
解っていても やってしまうことがある。
何にでもケチをつける母親もダメ。
その母にケチをつける自分もダメ。
でも、
そうやってダメ出ししていることもまた
不足や不満に焦点を合わせる姿勢そのもの。
そう思って、
母を責めてしまった自分を許してみたら、
その母親の態度も気にならなくなった。。。
いや たぶん...
また、気になる日もあるんやと思う。
でも、
今、気にならなくなったのだったら
それは それで ええねん ええねん。
そして、今日、
シゴト帰りに母親の家へ
バレンタインのお返しを持って行った。
嫌な思いをさせてしまったはずなのに、
母親の表情は意外に明るかった。
さらに、
昨日は気分を悪くさせてしまって悪かったね...
と声をかけてくれた。
そんな母の顔を直視することができず、
気まずくなるのが嫌で、
そそくさと帰ってきてしまった。
いや~情けないわ ホンマに...
でも...
それは それで ええねん ええねん。
それにケチつけんでも ええねんて。 うん。
●1年前の今日:謙遜よりも、「ありがとう」