明日は統一地方選挙(前半)の投票日です

どうして普通選挙と言うものが導入されるまでに多くの血が流されてきたのか
どうして黒人が命を賭してまで選挙権を得ようとしたのか
どうして在日が法を歪めてまで選挙権を得ようとしているのか
どうして学会員が義務のごとく選挙権を行使し、そして周囲にまで投票の勧誘をしてくるのか

選挙権って言うのは人数で薄められてるから気付きにくいだけで
それ自体がとてつもない力を持ってるんだよ
ある人間が選挙権を持っていて、選挙に行って、投票する
それが確実に行われると分かっているだけで、
投票される側はその人間に配慮した政策を取らざるを得ない
逆に言えば絶対に投票しない人間に配慮する必要なんぞ欠片もないわけだ

たとえ今この瞬間に自分が支持すべきベストな相手が見当たらなくても
その中から1番マシな奴を選び続けて、自分が持っている権利の力と票を入れられる要素をアピールして
次はもう少しマシなメンツの中から選べるような未来への一歩を積み重ねていかなきゃいけない
「信念を持って投票しない」なんて言ってる奴は、その権利を投げ捨てて他の奴に無償でくれてやってるようなもんだろ

民主党が圧勝した前回の総選挙でも、実際には候補者個人の投票差はそこまで大きくない
信念を持ったつもりになってるだけの奴等が投票に行っていたら結果は多少違ったかもしれない
そしてその違いは雪崩れるように起こっている出来事を少なからず変えていたかもしれない
投票しないで「政治が俺達の方を向いてない」なんて冗談でも言うな

via: ニュー投

 
以前、「権利と義務」でも触れたのだけど、
今ここで、改めて確認しておきたい。

民主主義は、権利と義務がセットであり、
権利は義務が伴って初めて保証されるのだ。

やはり、
さまざまな市民の権利を求めるなら、
政治に不満をぶつけるのであれば、
投票による参政は欠かせない責任だと思う。

その意味において、
「投票する人がいない」と思ったのなら
自ら出馬するか、支持者を立てて支援をすること...

そこまでできないとしても、
たとえ消去法であってもベターを選択し投票し、
自分が選んだ一人だという意志と責任を持つということが
権利を主張する上で必要な市民の義務だと思う。

「選挙権」と「被選挙権」は、
「権利」であり「責任」でもあるのだ。

「入れる人がいない」という理由で
投票を棄権したり白票を投じるという行為は、
自分が一方的に権利を放棄しているつもりなのだろうが、
実は、「投票により参政する責任」と
「入れたい人を立てる責任」を負ってはいない。

気に喰わない政権ができていることも、
入れる人がいないことも、
民主主義においては、選挙権者が責任を負うべきだ。

投票しない人、白票を投じる人は、
そのことで責任を逃れているつもりかも知れないが、
ならば、全ての公共サービスを放棄すべきだと思う。
つまり、この国を去れと...

 
とは言うものの...
今回も立候補者の中に好適者と思しき人は見当たらない。
確かに、誰に投票するかで悩んでしまう。

いっそ、棄権しようかと思うキモチも解らなくはない。

しかし、
その状況をつくったのは、
自ら出馬するか、支持者を立てて支援をすることを
見て見ぬふりをして怠っていた自分たち自身なのだ。

不本意な投票になろうとも、必ず一票を投じ、
不本意な当選者を出したとしても、その責任の一端を負う。

自戒の念を込めて、ここで再確認し、
明日の投票に臨みたいと思う。

選挙権と被選挙権は、権利であり責任でもある

 

●1年前の今日:便利で贅沢な豊かさもイイけれど

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責任権利

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