母が教えてくれた大切なこと
自立ということは、依存を排除することではなく、必要な存在を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか。依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。
via: こころの処方箋 (新潮文庫)
去年の秋、「自立とは…」という記事を書いた。
いっぱい 頼りにしているし
いっぱい 迷惑かけて生きていると思う。
そのことを忘れたらアカンと思う。
・・・と書いていたが、
実は、あまり理解できていなかったようだ。
解った気になっているだけで
腹に落ちていなかったのだと思う。
依存している自分を受容れることは
ある程度できているように思う。
でも、自分が依存によって生かされていること、
人さまが自分の依存を受容れてくれていること、
そういうことは、決して当たり前のことではなく
とてつもなく有難いことなのだということを
充分に自覚できていなかったような気がした。
母親がイイ歳をしているにも関わらず
ちっとも感謝が足りないということについて
このところ、ずっと気になって仕方がなかったのは、
自分自身の感謝が足りないことに、
自分自身の自立が不十分なことに
自分自身が気づいていたからに違いない。
自分の不甲斐なさを 老いた母の中に見つけては
自分の不甲斐なさに 苛立っていただけなんだと思う。
フミばあちゃん、ごめんなさい。
そして、気づかせてくれて ありがとう。
●1年前の今日:衝動買い