泣くべきとき

泣くべきときに泣かないで長いことすごすと、涙でいっぱいの袋みたいになってしまう。平気なつもりでいても、正しく流されなかった涙は袋のなかに貯蔵される。袋はどんどんふくれあがり、ふくれたぶんだけ脆くなる。そしていつかは、多くの場合は心遣いや共感のようなものをきっかけにして、ぱん、と割れてしまうのだ。

via: 涙袋 - 傘をひらいて、空を

 
人生の節目節目の そこ此処に
「泣くべきとき」 というものが ある。

 
育った環境や教育や体験から
「泣いたら あかん」という思い込みが
強く根付いている人も多いようだけれど、
やはり、
「泣くべきとき」 というのは確かにある。

正しく流されなかった涙は
気がつかないうちに 少しずつ鬱積し続け、
それと共に得体の知れないものに変質していく。

科学的、生理学的に
涙は そのようなものではないにせよ、
だからと言って
涙は 眼球や角膜を保護するだけのものではない。

心を揺さぶり、胸の奥を掻き毟り、
自身の深層に蠢くものを顕し出したり、
他者の姿の中に、自分の真相を見出したりしながら、
あたかも排泄物の如く流れ落ちて浄化を促す。

だから
「泣くべきとき」には泣かなきゃ...なのだろう。

それは、わりと容易く想像も理解もできる。

けれども、実際には、
泣けないこと、泣きたくないこと、
または「泣くべきとき」じゃなかったことにしたいこと、
人それぞれの、さまざまな事情や感情が、
泣くことを拒否したり、無意味化することも多いもの。

そうして心のデトックスができないと
具合の悪いことが待っているような気がするし、
人情味のない冷たい人間だと思われるような気もする。

 
しかしながら、それは その人にとって
まだ「泣くべきとき」じゃないのかも知れない、とも感じる。

意図的に、あるいは無意識的に制御して
「泣くべきとき」に泣かないでいたとしても、
鬱積した得体の知れないものが破裂するときが
いづれ訪れることになる。

破裂というのは衝撃的で強力な刺激を伴うものだから
ついつい、悪い結末なのではないかと感じてしまうのだけど、
もしかしたら、それもまた 思い込みだと考えることもできる。

人によっては、場合によっては、
「破裂するとき」が「泣くべきとき」で、
そのときを迎えてようやく涙が機能するのかも知れない。

そういう風に考えると、
普段、あまり泣けないからといって
あれこれ心配する必要もないし、
ましてや責めを負う理由もない。

「泣けるとき」こそが「泣くべきとき」なのだ。

 
とはいえ、やっぱり...
日常のそこ此処で泣けるものなら泣いておきたい。

鬱積させて破裂を待つほどの辛い涙は
できることなら避けたいと思うのが人情。  でしょ(^^ゞ

泣き虫の自分にとっては、蛇足かも知れないけれど。。。

 
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

泣くべきとき

 

●1年前の今日:夏休み最後の日曜日

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