「話し合って決める」は幻想か?

「話し合って決める」という幻想を押しつけることは、「多様性の否定」につながります。「ひとつの意見だけが正しく、後は間違っている」と考えるのは恐ろしいことです。

みんな、自分の好き勝手なことを言っていればいいんです。

via: 「話し合って決める」という幻想 - Chikirinの日記

確かに…
「話し合って決める」には
そういう意味の危険性がありますね。

そういう特性があるということを
充分に注意しておかなければなりません。

「話し合って決める」というのは、お花畑的幻想です。「話し合えば、相手も自分の意見と同じになるはず」などと思うのは、傲慢です。

話し合って決まるのは、「今回はどっちが意見を放棄しましょうか?」ということだけなのだから、順番に譲り合ってもいいし、多数決で決めてもいい。決める人が責任を負う、ということでもいいと思います。

フェアな議論とか言われているものは、「どっちかだけが諦めるのは不公平なので、双方の諦める量を同じにしよう」というルールに過ぎません。双方が半分ずつ諦めて「足して二で割る」とか、双方が全部諦めて、第三者の意見を採用する、というのがその事例です。

via: 「話し合って決める」という幻想 - Chikirinの日記

うーーーーーん
お花畑的幻想  ですか...

仰る通り、そういう場合も多いのだと思うのですが
それが全てではないような気がするのです。

繰り返しになりますが
「話し合って決める」は
危険性をはらんでいるから注意しなきゃいけない
ということは確かだと思っています。

けれども
「話し合って決める」をしたい人が全てが
「話し合えば、相手も自分の意見と同じになるはず」
なんて思ってはいないですよ。

少なくとも ボクは
そんな幻想を持ってはいません。
(そうなるとイイな…という希望はあります)

じゃぁ なぜ
「話し合って決める」をしたいのか?

ひとつは…
「話し合う」ということ自体に
意味を感じているからです。

そして、もうひとつは…
話し合わなければ解らなかった考えや意見に
気づくことができるということです。

話し合った結果、主張を諦めて放棄したり
妥協したりすることも少なくありませんが
話し合ううちに、違う意見の方を
あえて採用してもイイなと思うこともあります。

あの意見ダメだと思っていても
アイツにやらせてやろうじゃないか
なんて思うこともあります。

あるいは、
その意見は最善だとは思えないけれど
けっして悪くはないね…とか思うこともあります。

そんなことを思ったときは
諦めでも妥協でもなく
自らすすんで自分の主張を引っ込めることもあります。

それは屈服ではないし
当然、悔しさなんかもありません。

また、
最終的に誰かが諦めや妥協をした場合でも
話し合いに参加した人たちの考え方や
自分には気づかなかった視点を知ることができるなら
そのことは大いに意味があると感じています。

話し合って決める場面というのは
必ずしも「説得の場」だけではありません。

「意見交換」や「プレゼン」を通じて
意見が一致するということに至らなくとも
自らすすんで結果を一致させて決まることもあるのです。

しっかり たっぷり話し合った結果の
多数決にしたって、鶴の一声にしたって
多様性の否定につながりかねません。

やはり充分な注意が必要だと思いますし
少なからず「話し合い幻想」を抱いている人もいるでしょう。

しかしながら、だからと言って
「自分の好き勝手なことを言っていればいいんです」
なんていうのは極論すぎると思います。

いや、もちろん!
Chikirinさんは 解りやすいように
あえて極論的な書き方をしているのでしょうから…
ここでは、あえて極端なお花畑的に書いてみました(^^ゞ

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

「話し合って決める」は幻想か?

 

●1年前の今日:燃費にもお国柄がある

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