五十目前にして未だ不惑を学び中

「何かのために」は聞こえは良い。

でも時に思い上がっているようにも思える。

人間関係に置いても言えることだが、誰かの「ために」やろうとすると厄介な問題になることがある。

しかし、誰かを「思い」何かをすることには、見返りを求めることもなく、そこに愛情が存在しているから不幸な結果になることが少ないように思う。

via: イチロー、40歳にして惑わず ヤンキースでの決意:日本経済新聞

「誰かのために」の真意は
「自分のために」であることが多い。

このインタヴューを読んで そう思いました。

「誰かのために」と言いながらも
「誰か」からの見返りを求めている…

直接的な見返りは求めていないとしても、
生きがい、やりがい、充実感、
感謝されることの歓びなどが得られることを
知っているからこその「誰かのために」である…
ということは少なくないのではないでしょうか。

本当の意味での「誰かのために」「何かのために」は
誰かを「思い」何かをすることなのですね。

このことは野球のみならず
あらゆる場面に当てはまると思います。

ビジネスにおいても
よく「利他」というコトバが使われますが
この「利他」の意味を誤解している人は
意外にも多いのかもしれません。

「お客さまのために」と言いながら
実は「自分のために」になっていないだろうか?

「利他」を標榜し実践しているつもりでも
「利他」の真意を理解していないのではないか?
今一度、再認識してみた方が良いように感じました。

そして
誰かを「思い」何かをするということは
自分の内側に大切に携えた
であり 願いなのだと思います。

成果目標を明確にして公表たり
夢を多くの人に宣言したりするのとは違って
あくまで自分の内側にあって多言せず
自分だけが知る中で
けっして自分を裏切らず
自分の信じることを一所懸命に行う…
誰かを「思い」何かをするとは
そういうものであるような気がします。

まさに ここで使うべきコトバが
不言実行 なのかもしれませんね。

・・・などと、
思ったり...思わなかったり...

では、お気楽に...(^^)/~~~

イチロー、40歳にして惑わず

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