誰かのことが心配になとき…
心配するひと、
心配なあまり先回りしてやってくれるひとは、
必要としてほしいのだとおもいます。via: おとなの小論文教室
うん そうですね。
きっと! そうなんだと思います。
本当に困っているのは…
本当に心配しているのは…
相手じゃなくて
自分だったりする…
身に覚えがある っていうか
あまりにもハッキリ自覚させられてしまい
身につまされる思いです(^^ゞ
往々にして
こういう心配というのは
上手く伝わらないというか
何も解決しないことが多いものです。
そりゃ そうですよね。
だって、本当は
自分の方が困ってるんだから。
自分のことの方が心配なんだから。
家を出て18年になります。
あまり心配させないように、と思ってきましたが、
親はさみしかったらしく、逆に干渉がひどかった。ちょっと甘えることをしてみたら、ずいぶん変わりました。
以前より心配も減りました。
親が元気になりました。少し心配させて、
ありがとう、助かったよ。あなたがいてくれてよかった。
といってあげるのも、親孝行だとおもう。
これからは
誰かのことが心配になったとき
もしかしたら
実は自分が困ってるんじゃないか?
一歩下がって確認してみることにします。
そのとき
自分が困っていることに気づくことができたなら
きっと早期解決につなげることができるでしょうし
余計なお世話をやかずに済むだろうと思います。
そして
誰かが自分のことを心配してくれるとき
もしかしたら
実は その人は困ってるんじゃないか?
必要とされたいと思ってるんじゃないか?
そういう見方をしてみることもできますね。
自分の思いや感情に任せた衝動だけでは
相手が求めていることを
一緒になって考えることはできない…
親身になって考えるとは どういうことなのか?
今更ながら改めて
感じ考えされられたエピソードでした。
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...
では、お気楽に...(^^)/~~~
●1年前の今日:嵐の新月