インプット・アウトプット

将来が不安になったり、自己成長を志向すると、人はインプット熱が上がる。もっと本を読もう。もっとセミナーに出席しよう。もっと人に会おう。でも、できる奴はすべてのインプットはアウトプットのためであることを認識している。アウトプットなきインプットは意味が無いものだと考えている。
たしかに大事なポイントですね。
何のためのインプットなのかを意識しないと、活用や行動に結びつくことは稀だと思います。
そして、知っているだけ考えているだけで、活用したり行動したりしなければ、いわゆる成果には繋がりません。
その点については、概ね同感です。
けれども同時に「それが全てではない」とも思うのです。
つまり、「アウトプットなきインプットは意味がない」とは限らないと思うのです。
引用元は「できる奴の仕事術9箇条」という記事ですから、やはり成果を重んじて効率的でない方法を断じているのでしょう。
それはそれで納得なのですが、インプットしたことは、たとえ意識的にアウトプットしなくても大いに意味があると考えています。
(その時点でボクは「できない奴」なのかも^^;)
人となりやキャラクター、教養などと呼ばれるものは、その人がインプットしてきたことによって形成されます。
特にアウトプットを意識せずとも自然なカタチで表面化します。
あるいは、判断基準や咄嗟の対応に顕れることもあります。
教養はこれ見よがしにアウトプットするものではありません。
滲み出るものであり、醸しだされるものです。
しかし視点を変えてみれば、これらも無意識のうちにアウトプットしていることなのです。
意識せずともアウトプットしている人となり、キャラクター、教養などを変えていこうとするなら、やはりアウトプットを意識したインプットがポイントになってきます。
ですが、アウトプットなきインプットには意味がないということはありません。
どんなインプットも自分の一部となって活かされています。
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...
では、お気楽に...(^^)/~~~
- ●1年前の今日:
- 滋賀県といえば琵琶湖です