25年経った今も震災はまだ続いている

25年目の1月17日。
いつもと同じように早朝の参拝を済ませ、TVのスイッチを入れました。
5時46分、震災のつどいの中継に合わせて黙祷しました。
今年は25年目ということで若干は取り扱いが増えたようですが、年々簡略化されていく震災関連の報道。
神戸市民の既に半数が震災後に生まれたり転居してきた人になっているとのこと。
他の地域の人たちやマスコミにとって震災への記憶や関心が薄くなるのも当然です。
だからこそ伝えたい。語り継いでいきたい。
東遊園地で灯された「きざむ」という光の文字には、震災の記憶を刻み、継承していくという思いが込められています。
悲惨な記憶の風化こそが復興の証と考えた時期もありましたが、被災者やその関係者にとっては今もなお忘れることのできない日であることは変わりません。
さらに、震災の記憶は被災者の心の奥底にだけ刻まれているのではないということが、少しずつ明らかになってきています。
被災者、そして救助や瓦礫の撤去に携わった方々が、癌の一種である中皮腫を患って亡くなっているケースが増えているとのこと。
中皮腫の原因の8割はアスベスト禍由来のものだと言われています。
昭和30年代から半世紀にわたって燃えにくく安価な建材として使われたアスベストは、その微細な繊維を吸い込むと肺の内部に刺さって残留蓄積し健康被害をもたらすとして2006年に使用が禁じられました。
震災当時はアスベストが使われた建物が多数あり、倒壊したビルの解体などで大量に飛散し、住民や作業員が体内に吸い込んだ可能性が高いと予想されます。
しかし、当時はアスベストの危険性についてはあまり知られておらず、防塵マスクを付けずに作業した人も多かったことを覚えています。

アスベストが引き起こす中皮腫は潜伏期間が長いのが特徴で、20年から50年経ってから発症することが多く「静かな時限爆弾」とも言われています。
震災直後から指摘されていたもののアスベストによる直接的な被害は目立たず注目度が低かったのは、この長い潜伏期間のせいだと思われます。
果たして25年目を迎えた今、アスベストの影響による中皮腫や肺癌で亡くなる人が増えており、今後さらに増加する可能性が高いと見られています。
年々風化していく震災の記憶。
それとは裏腹に、体内には震災の傷跡が深く刻まれていたのです。
それまで何ら自覚症状がなかった人が、発症後1年程度で亡くなってしまう事例も多いと言います。
なぜ今頃になって?
震災はまだ続いています。
記憶が薄れようとも、街が綺麗に復興しようとも、深く刻まれた傷跡は未だ癒えていません。
・・・などと、 思いを巡らせ過ごした25年目の断食日。
すべての犠牲者のご冥福をお祈りします。
そして、すべての被災者と関係者の痛みが一日も早く和らぎますようにお祈りします。
- ●1年前の今日:
- 24年目の気づき