偶然に任せなくても運は自分で良くできる

自称「私はかなり運が良い」先輩と朝から晩まで一緒に行動してみたら、彼女のずば抜けた運の良さを目撃する事はたったの1回もなく、代わりに、あまりに小さな事も幸運だと喜び周りの人の気分も引き上げる彼女の素敵な生き様を目の当たりにしてしまいましたよ。前向きさの選択は有用な知恵の1つだな。
— Eva (@cnntnst) February 5, 2020
ラッキーの基準を低く設定しておけば、ラッキーな出来事に巡り合わせる可能性は高くなる。
一日に何度もイイことが起きたら一日中キブンが良いし、自分のキブンが良いと周囲にも良いムードに包まれやすい。
良いムードの中で過ごせたら幸福感は高くなるし、運が良いと自覚できるというのも納得。
小さな幸せに気づいたり感じたりすることは難しいと思っている人は多いれど、幸せの大きさなんて主観でしかないわけで、自分が決めた基準が難しいと言っているだけ。
だから、自分で勝手にラッキーの基準を下げればイイのだ。
どんなことでも、それをどう感じるかは自分次第。
「こんなことくらいでラッキーだとは言えない」なんて、厳しいことを言わないで、「まぁまぁOK」くらいのことでもラッキーに入れておけば、一日中ラッキーでいられる。
「まぁまぁOK」すら感じられないときは「死ぬこと以外はかすり傷」的に無事無難を喜び感謝するようにすれば、ラッキーな出来事が目白押しということになる。
スゴイ良いことが起きなくてもラッキー。
まぁまぁだったらラッキー。
イマイチだとしてもラッキー。
なんならダメなときでも生きていればラッキー。
運が良いということは、良い出来事に遭いやすいということなのだとすると、ラッキー体験を増やせば運を向上させることができるということ。
だから、ラッキーの基準を下げて、ラッキー体験を増やす。
実際に良い出来事が起きる起きないに関わらず、自分が決めて実行するだけでできること。
やると決意して練習さえすれば誰にでもできること。
運が良い人は、いつ来るか判らないラッキーに頼らない。
目の前で起きる出来事を片っ端からラッキー認定していく。
・・・などと、
思ったり...思わなかったり...
では、お気楽に...(^^)/~~~
- ●1年前の今日:
- どうして我々は言いきることができないんだ